本記事は私の友人……いや、尊敬するショートショート作家であるサムちゃんくんさん大先生のこの一ヵ月に渡るショートショートをレビューするという記事である。誰が得するかといえば、おそらく、サムちゃんしか得しない記事ではあるが、ご興味ある方は一読いただき、その後、サムのすけのショートショートの1本や2本読んでいただければ幸いである。
店を出ると丸い月が出ていた。
雨が止むまではセーフと言い訳をし、だらだらと酒を煽っていたらどうやら随分と時間が経ってしまったようだ。
終電もないし、歩こうと脚を動かすとモワっとした空気が身体を包み込み、数百メートル歩いただけで汗が出る。せめて、アスファルトよりはマシだろうと、木の鬱蒼と茂る公園に逃げ込んだ。
こんな近くに住んでいるのに、そういえば公園なんぞ来たことがなかったなぁ、キョロキョロしていると公衆電話の隣のベンチに一人の男性が座っていた。
父親と同じくらいだろうか、身なりは整っており、およそ浮浪者には見えない。
彼はきっと「何者か」なのだろう。
第5位『まもなくハタチ』
俺はまだ自分が何者なのかもわかっていない。もういい歳なのに、自分が何者だのなんだのいうのも中学生みたいで恥ずかしいが、夜中になると唐突に、明日、死ぬとき、自分がこの世界に爪痕を残していないのではないのだろうか?と焦燥感に駆られる。
『もうすぐハタチ』では主人公が子どもと大人の境界線を越える瞬間の焦燥感を綴っている。
誰しもが感じている自分は何者かになれるのではないだろうかという漠然とした期待から主人公に自分を投影してしまう人には刺さる内容となっている。
まぁ、別に大きく成長を遂げるわけではないのだろうけど、ほんの一歩だけ先に進む、それだけで世界が変わるということを思い出させてくれる。
難点は主人公の性別だ。
文中の描写から序盤は性別が読み取れない。最後の最後に女性だということがわかる。
これは惜しい。感情移入を既に済ましているにも関わらず、最後で肩透かしを食らってしまったのだ。誰しもが感情移入できるように最後まで性別が特定できないようにするか、あるいは序盤から明確に指示した方が良いように思えた。
ただ、ベンチに座っているのは確かに男性で、俺もこの通り男性である。
「爺さん、こんな時間に1人で公園なんて、危ないぜ」
そう言っているお前はどうなんだとツッコみたくもなるもんだが、それはそれ、父親と同年代だと思うと面倒もみたくなるものなのだ。
第4位『親父の履歴書』
ショートショートというのは文の無駄を省くことでより短い文章を達成することが命題である、と思われがちだが全く逆の視点もある。
それはたった1つのオチを作る為に、そこまで無駄な文章を書くだけ書いて期待を膨らませた後に、落とす、といった駄文を足すという手法だ。
俺はいつだって無駄なことばかり、口に出してしまうがその実、実のある言葉など十に一つもないのだ。
だから、心地よいリズムの戯言を並べる一種のペテン師のようなものだろう。
意味のない文を並べることに注視すれば良いのでもっとリズムを意識してただ、語感だけで読ませるようにすることは出来たと思うが、落としどころも綺麗で、すっきりとした読後感に仕上がっている。
「じゃあ、君がそこに座ったらどうだ。そしたら、私も君も一人ではあるまい」
なるほど、詭弁だが道理でもある。
俺はその男性の隣に腰掛けた。
「なんでこんな夜更けに公園なんているんだ」
「私は今日、一歩も家から出とらんかった。気付けば夜だ。こんなことは今までになかったんだ。一歩も家を出ないなんてそれは特別な日で、疲れ果てた週末のご褒美だった。それなのに、今日は何もしなかったのに家から出なかったんだ。仕事を辞めた途端、この様だ。恐ろしくなってとりあえず公園に来てみたんだ」
定年。
脳裏にはそんな言葉がよぎった。なるほど、年齢的には辻褄が合いそうだ。しかし、今の不況、定年でなくとも職を失うことは少なくない。
そんなときは各種給付金でお国に助けてもらうしかない。
第3位『ハッスル給付金』
給付金というのは非常に受け取るのが、面倒である。それはもう、その面倒臭さを理由に受け取るのを断念させるのが目的なのではないかと思うほどだ。
しかし、もらえる物はもらっておかねば損をした気分になるのも事実である。
『ハッスル給付金』は割と終盤に書かれた文章で、この頃になると文章もこなれてきて、逆に余計なことを書きすぎてコンパクトになるべき文章が長くなってしまう、といった懸念があり、これも序盤の冗長さに如実に現れている。
あとはそれでいてオペレーターの誘導が急すぎて、いまいちリズム感が悪い。もっとオペレーター側のセリフを有効に使えば、どんどんハッスルしていく様をうまく表現でき、最後の失望との温度差が演出できたと思う。
とはいえ、文章に無駄はあれど、話の構成に無駄はなく、ネタとしてもわかりやすく面白い。
「お国からはまだ金はもらってない」
俺は思わず、ハッスル給付金というものがありまして、口から出任せを喋っていたらしい。これだから酔っ払いというのは手に負えない。
「定年になったら、やれることがいっぱいあると思ってた。私はまだまだ何もできてない、定年になれば、定年になれば、とここ数年はずっと思っていたよ。なのに初っ端がこの様かと思うとね、ほとほと自分に失望してしまうよ」
俺はさっき、彼をみて「何者か」になっていると感じた。しかし、彼の主観においてはまだ何者にもなっていなかったのだ。
彼はこの歳になっても自分のことを未完成だと感じているのだ。
第2位『未完成城殺人事件』
その人が完成しているのかどうかというのは主観では決して図ることはできないのだ。
だったら、他人に任せてしまえばいいのだ。
しかし、この話はあまりにもメタ的で、卑怯である。その上、キャラを使いまわすというショートショートとしてはあるまじきズルを犯している。
でも、よく考えてほしい。面白いものを書くのが目的であり、目的を達成する手段としてショートショートを用いているだけで、手段に辿りつかずして面白いを達成できているのであれば、それで問題ないのだ。
「人生も生きることが目的であって、それを達成する活力として、みんな何者にかになろうとするんですよ。だから、もう立派に十分生きてるんだから何もしなくたって問題ないんですよ」
そう言って、俺は励ましてみた。
「そうは言ってもね、君。まだね、ローンが残ってるんだよ、ローンが」
第1位『ジャガイモ(30年ローン)』
1位だろうとケチは付ける。
文章は拙く、無駄が多く、話のテンポもよくない。もっとコンパクトにできたと思う。
しかし、まとまりの良いアイデアはなかなか常人にかける物ではない。
ジャガイモと30年ローンという誰にでもわかり、かつ、かけ合わせることで全く新しいインパクトのある発想に至っており、これこそがショートショートの至るべき極地である。
驚くことに、これがたったの3作目であるという事実。この時点でショートショート的極地に至っているわけである。惜しからむは使いこなしていないという点。
31本という途方もない量を書くと、まぁ予想できる傾向というのがある。序盤にアイデアが出尽くすが、技量が追い付いていない。終盤はこなれたテクに任せたただ書いただけの文章が多くなるが、偶に降ってわいたようなアイデアを以て、アイデアと技量のバランスの取れた文章がポツポツと取れる。そんな中でもアイデアが一つ頭抜けて、拙さを圧して尚、一番すごいと思えたのがジャガイモだったのだ。
人生だってそうだ。山あり谷ありである。確かに、人生も終盤にかかれば、何でもかんでもうまくはなるが、逆に発想は枯渇し、すでに取り返しのつかないことになってしまうのだ。
「じゃ、俺、帰るわ。爺さんも早く帰れよ」
俺は先程とは打って変わって駆け足で公園を飛び出た。
だって、俺もこんなところでうだうだしてるわけにはいかないからさ。
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