ピキーン!
当たった!
……とはいっても、宝くじに当たったわけでも確変に当たったわけでもない。
食事に当たったのだ。
正確に言うと、昨日から予兆はあった。
なんかちょっと下痢気味というか、腹の調子が良くなく、食事も食べたくないような、まぁどう見ても腹を壊しているわけなんですが、その段階で確実に腹を壊したと断定しきれない理由も我々にはあった。
クスコの標高は3400m。そして、その後行くマチュピチュはちょっと下がって2800m。
富士山が3776mといえば、伝わるだろうか?
クスコという都市全体が富士山の8合目にあるようなものなのである。
普段、下界に住む下々の民である我々は当然、天上に上がるべく、とある対策をしないといけない。
もちろん、高山病対策だ。
標高の高い地域へ移動する前日から高山病予防薬は服用する必要がある為、我々は昨日から飲んでいた。
なので、私はこの腹の調子の悪さを「薬の副作用では?」と楽観視していた。2人とも出てたし。
しかし、翌日になっても下痢は止まらず、体力が消耗して仕方がない。こりゃ、当たったな、と。
多分、昨日食べたセビチェが悪かったんじゃないなぁ。
セビチェとはマスのマリネ的なやつでペルーの名物料理、しかし、マリネということはつまり、そう、生魚だ。
名物でちゃんとした(風の)レストランだとしてもやはり海外で生魚はあかんかったかぁ……。でも名物だって言われて、出てきたらどれ食べてみるか!ってなるじゃん、とんだトラップだよ!でも、他に心当たりある料理が思いつかないから多分、セビチェなんだろうなぁ。
クスコの空港に夕方についた時点で既にグロッキーだった我々は、幸いにも今日は移動日かつ、予定も入っておらず「近場でも歩いて回るかー」くらいののん気なプランだった我々はホテルへ直行し、正露丸を飲んで泥のように寝た。
晩飯も食わず、ひたすらベッドで寝ていた。
私は夜中の2時くらいまでピクリともせずに寝ていた。その後、ちょっとだけ起きてシャワーだけ浴びて、また寝た。
翌朝、全快した。
いやぁ、もう元気元気、腹の痛みも気持ち悪さも収まり、朝ごはんもおいしくいただける。りんごの丸かじりうめぇ。よーし、今日はマチュピチュ観光だ!おじさん歩き回っちゃうぞー!となるほど回復した。
なびるなは。
ニコライ・ボルコフは依然として死んでるライ・ボルコフだった。
しかし、まぁ昨日よりマシだという彼の言葉を信じて、マチュピチュに向かう。
マチュピチュでの観光はまぁあるき回ると言っても一般的な観光地のそれで、それほど身体に負担がかかるようなものではなかった。
なので、死んでるライ・ボルコフは調子が悪いライ・ボルコフなりに楽しんでいたようにみえる。
ただし、ホテルに戻ったら一歩も外には出ず、晩ごはんも食べていなかったのでやはり死んでるライ・ボルコフだった。
仕方がないので(この旅ではもうおなじみではあるが)1人で勝手に観光地を練り歩くなびるなにまたなってしまった。
翌日。
今日もいい天気だ!おじさん張り切って歩き回っちゃうぞー!と清々しい朝を迎えた。
なびるなは。
死んでるライ・ボルコフは死んでるライ・ボルコフであった。
同じものを食って同じように当たったのにこんなに回復に差が出るものなのか?
ま……まぁ、ボクは勘違いされがちだけど今まで大病を患ったこともなくかなり頑丈な身体をしているのではあるのだが。
これだからシティ育ちのぼんぼんはよぉ、もっとスラム街の泥すすって生きていこうぜ!
と言ってる場合でもない。
今日はワイナピチュ登頂が控えているのだ。
ワイナピチュはマチュピチュの見張り小屋や儀式の為の施設がある、マチュピチュの隣の山である。
インカ文化では高ければ高いほど天界に近いと考えており、つまり、そのへんのものどもはワイナピチュの頂上にある。
つまり、山1つ登るのである。
とはいってもそこまで大変じゃないですよ、山道獣道じゃなく、道はほとんど階段だし、一般的な大人であっても疲れる程度ですごく疲れるってほどじゃない。
体調が万全であれば。
そう、なんと言ってもこちらのニコライ・ボルコフは死んでるライ・ボルコフである。
こんな状況であってもワイナピチュへ行くのを諦める、と言い出さない根性が立派である。
というか、そう言わないし、「昨日よりはマシ」「大丈夫」って言うもんだから、ふうん、ちょっと調子は悪いけど、登れないほどではないんだな、とボクは朝、思っていた。
そんなことなかった。
それらの言葉は盛大な強がりであった。
いざ、登り始めたらすぐにグロッキー。
死んでるライ・ボルコフは階段を一区画登る度に休憩するライ・ボルコフと化していた。
腹痛もそうだが、酸欠の症状も併発していたように思える。
しかし、諦めない根性は立派である。
一般的によく登山をする人達はお互いを仲間だと思い優しくするというが、それはワイナピチュでも同じで道行く人は皆優しかった。
死んでるライ・ボルコフはすごい勢いで水を飲み干すライ・ボルコフだったので朝、ホテルから持ってきた600mlの水は一瞬にしてなくなった。すると、道行く人達が自分の水を分けてくれるじゃありませんか。なんて優しい世界なんだ。もちろん、ボクとガイドさんの水もすごい勢いで水を飲み干すライ・ボルコフにほとんどあげた。
死んでるライ・ボルコフのリュックはボクとガイドさんが交代で持って登った。
こうしたたくさんの人に支えられて、死んでるライ・ボルコフはなんとかワイナピチュの登に成功したのである。
おめでとう、死んでるライ・ボルコフ!
本当に助けてくれた見ず知らずの人達に感謝しろよ!
その晩、クスコのホテルの近くの日本食レストランに晩ごはんを食べに行くことにした。
君達は日本で体調が悪くなったとき、何を食べるだろうか?
そう、うどんである。
ボクも(ニコライさんに比べたらちょっとの間であるが)体調を崩していた際に、無性にうどんが食べたかった。
その日本人の魂に刻まれた優しい味であるウードンがそのレストランにはあるという噂を聞きつけたのだ。
メニューを開くとたしかにある。
肉うどん、わかめうどん、かしわうどん、カレーうどん、冷やしうどん。
うどんがメニュー表に並んでいるのだ。
「オレはかしわうどんで」
ボクは早々に決めた。
「オレはどうしよっかな……わかめうどんか、冷やしうどんもいいな」
は?
こいつ、今、冷やしうどんっつったか?
ここに何しに来たかわかってんのか?さすがに怒るぞ。
「わかめうどんにしとけ」
わかめうどんを食べさせました。
ということで、また次の国でお会いしましょう。
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