バレンタインに思い出すこと

 どうも、なびるなです。

 皆さんはバレンタインデーというものをご存じでしょうか?

 セントバレンタインの誕生を祝い、年に一度だけ執り行われる「奥ゆかしきは良きかな」を旨とする大和撫子共が今宵だけは攻勢に出ることが許され、想い人にチョコをあげるという外国由来のイベントである。

 ちなみに生まれてこの方、恋人というもののいたことがない不肖なびるなには上記内容は特に縁もゆかりもない事象である。

 が、実のところバレンタインとなびるなというのは意外と縁も歴史も深くあるのだ。

 僭越ながら私なびるなは勝手ながら毎年いわゆる一口チョコ(例.ABCチョコ)を買い、現在自分の属している組織へ持ち込み目があった人に

『本命チョコだよ』

 といって押し付けるという厄介な癖がある。

 これはまだ若かりし頃、具体的には高校に入った時から行い続けているので、もう10年以上やっており、昨日やそこらに始めたことではない。

 本命チョコ(?)と本命チョコ(?)の渡し合いになり、両想いになった女性も数知れず。それにしては一向に恋人っつーもんができねえなぁ、一体どうなってんだいこの地球ってやつはよぉ。

 現に今年も不二家ピーナッツチョコレートをぶら下げて意気揚々と配り歩いた。

「本命チョコなので奥さんには黙っておいてください」

「これは本命なので旦那さんには秘密ですよ」

 そういった会話が至る所で(なびるなの口からのみ)なされていたのは非常に印象深かった。

 そんな私のバレンタイン人生であるが、バレンタインになると毎年、思い出すことがある。いや、もしかしたらこの経験があったから今も懲りずにチョコを配り続けているのかもしれない。

 前置きが長くなったが、今日はそんなお話だ。

それは高校3年生の卒業式の日だった。

 今から話すのは私が高校3年生、花も恥じらうピチピチギャルだった頃の卒業式の日のことである。

 おいおい、バレンタインの日の話じゃないのかよ、と思った方、まぁそう焦るでない。ツッコミはそっとポケットに閉まっておいてくれ。不思議と感情はなくてただそのビジョンを見ていてくれ。

 ついでに言うと卒業式は3月第一週なのでホワイトデーにも早い時期だ。

 私も仮も受験生などといった仮初の肩書を背負っており、私立組は受験も何もかも終わってるのに対し、国立組はまだ合格発表すらされていないそわそわしている時期に卒業式というのは執り行われる。

 式も終わり、教室へ戻るとその日はクラスメイト全員が1人ずつ壇上に立ち、みんなの前で少しだけスピーチをするという、よくあるイベントがあった。

 ちなみに私自身は一体何をしゃべったのか、さっぱり覚えていない。本当に覚えていないので、どうせ大したことは言っていないのだろう。

 自分の番はさっさと済ませ、席に座ってのんべんだらりとみんながしゃべるのを聞いていたわけだが、中盤に差し掛かり1人の男子生徒の番になった。

 眼鏡をかけた真面目な生徒だ。

「今年、ボクにとって特別なことがありました」

 ほう、なんぞなんぞ。

 

「この前のバレンタインで人生で初めてチョコをもらいました」

 

 教室がちょっとざわっとしました。

 失礼を承知で言わせてもらうが彼はいわゆるそういうタイプではなかった人間だ。

 その彼が、チョコをもらったと話すこと自体が教室全員にとって驚きだったのだ。

 決して彼自体が悪い人間だったというわけではない。というかすごくいい人間だったと思う。だが、悲しい哉、高校生というのはもっと派手でキラキラした主張の激しい男性を好むものでこれがあと10年もすれば誠実な彼の人柄というのは再評価され、お金さえあれば引く手数多だとは思うのだが、如何せんこれは高校生時分の話、その当時の彼の魅力に気付ける女性、あるいは男性というのは稀だったのである。

 

 さて、ここから大事になってくるのは「一体誰からもらったのか?」という点である。

 

 人生で初めてというからには自分の母親というオチはないだろう。きっと彼の家には母親が息子にチョコをあげるという文化がないのだろう。それは家庭によりけりなので踏み込まない方がよかろう。

 

 

 

 

 

 

「チョコをくれたのはなびるなくんです」

 

 

 

 

 

 はい、ボクでしたてへぺろ~。

 ボクでしたね。

 たしかにあげましたわ、ABCチョコ。

 その日、彼と目が合いましたもん、というかクラスのほぼ全員がボクからチョコもらってますわ。

 これにはクラスメイトも大納得。

 陰ながら彼に想いを寄せていたあの子も安心ってもんよ。

 しかしながら、ボクは決して彼と仲が良かったわけではなく、話した記憶もほとんどないくらいだったのだ。

 彼も彼で別に普段、冗談とか言わない人間だった。

 そんな彼が卒業式の日のスピーチの題材として選んだのが「なびるなからチョコをもらった」ということだったのがボクにとっては非常に驚きだった。

 そんな大事なテーマをボクのチョコで潰してしまったのだ。

 ボクにとってはなんでもないイベントだったが、彼の中ではチョコをもらったという事実がそれほどにまで特別なイベントに昇華していたのだ。

(いや、彼からしたら最後くらいちょっとくらい冗談かましてやろう、というくらいの気概だったのかもしれないが)

 

 冒頭ではバレンタインの良い点ばかり述べてしまったが、このバレンタインというイベントには確かに残酷な側面が存在している。

 社会に出れば義務チョコが配られ、チョコが全くもらえないということもないのかもしれないが、高校生という自由奔放な生き物で自分の好きな(この好きというのは広義の好きである)友人にしかチョコをあげない。

 結果としておとなしい男性は誰からもチョコをもらえないのだ。

 現在の社会では、女性社員にほぼ強制的に出費を強いて、チョコを配らせるような状態がまかり通っており、これによって救われる男性もいるというのは事実ではあるが、誰かの犠牲の上に立った救いなどにどれほどの意味があるというのか。そして実際に金がかかる。

 じゃあ、なしにすればいいのかというと、そうしたらそうしたで好きな(この好きというのは広義の好きである)人、あるいは友人にチョコをあげはじめるのでモテない男性がチョコをもらえず、劣等感に打ちひしがれる結果となってしまう。

 とはいえ、男性だから当然、口を開けて待っていればチョコがもらえるだろうと高をくくってる男共に腹が立つのは確かだ。なんで奴らは当然のようにチョコをもらえると思っているのだ。

 お返しにホワイトデーがあるじゃないか、という言い分もあるだろうがあくまでもらった分だけ返すのがホワイトデーなので女性は何もせずに物がもらえるというわけではないのだ。

 これは実にデリケートな問題で、個人の問題に落とし込んでるのが厄介だ。

 組織が福利厚生の一環としてチョコを配るように、そしてホワイトデーのお返しも配るようにするのが一番適切な解答だとボク自身は思うのだが、業務に関係ないと言われればその通りであり、あくまで個人が勝手にやっているというという体裁が面倒なのである。

 だから、ボクはきっとチョコを配るのだと思う。

 口を開けて待っていれば女性だって男性だって関係なくチョコをもらえていいじゃないか。

 引く方向で平等を保とうとしたところで何かが浮き彫りになってしまうだけなのだから、もっともっとお互い足していくのがボクのありたい平等なのだ。

 このへんの締めはボクの偏見で書かせてもらったがこんな感じだよね?多分。

 ちなみに卒業式にチョコの話をした彼とはそれ以来会ってはいないが、とても頭のいい大学に行ったので今頃、いっぱいチョコをもらえていればいいな、と思います。

 以上!

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