【注意事項】
本記事では個人の思想や信仰、主義主張に対する言及があります。
苦手な方や合わない方はブラウザバックしていただきますようお願いいいたします。
私のTRPGシナリオ「笑みは優雅か?」の電子書籍版の公開された。
結論から言うと今回、私が石板を羊皮紙に変える為に使った魔法はたったの3つ。
・ページ比率を固定化しない
・適切なハイパーリンク
・カラーの有効活用
また、本記事内の電子書籍化に関する注意事項はTRPGのシナリオの為という特殊な事情があり、すべての電子書籍に対して適用できるものではないことを事前に断っておく。
ちなみにTRPGに関係なくても嫌いなものは嫌いだ。
今回、公開したものの、はっきり言って全然納得していないし、見れば見るほどその稚拙さに反吐が出る。
この程度のもので電子書籍を名乗らないでほしいとPDFアンチ同志諸君から後ろ指をさされ、否、同志を名乗ることを許されず、旧人類の島へ流されることも覚悟している。
満足度は見返す度に下がり、いまや精々40%といったところ。すぐにでも作り直したい。
そんな代物であり、見られるのは恥ずかしい限りであるのだが、それでも、ことPDFという形式に限って言えば、最低限の工夫を凝らしているとは思う。
むしろ、この未完成極まりない愚息を世に解き放つことで、PDFアンチの同志諸君と有意義な意見交換を行いたい。
そして、進化する意思を見せない怠惰な人間にこのような形があることを知らしめるべく、公開に踏み切った次第である。
大袈裟に言っているが、実際にデータを覗いて「なんだ、こんな程度のことか」と拍子抜けする人も多いだろう。
しかし、拍子抜けする程度のことを石板で満足する愚鈍の民はやっていないのだと、気付いていただきたい。
この世界にはまだ伸びしろがあるのだと。
※PDFの内容説明までが長いので飛ばしたい方はこちらをクリックしてください。
実はPDFアンチではない
さて、誤解を招くといけないので、ここで明言しておく。
私は正確にはPDFアンチではない。
「冒頭の語り出しは一体何なんだ!」「言ってることとやってることが違うぞ!」「PDF死ね!」などという罵詈雑言が聞こえるようだが、不思議なことに私自身、PDFに対しての敵対意思はないのだ。
そう、PDFという形式に対しては。
私、いや、我々のアンチ感情はPDF本体に非ず。
前時代の遺物としか思えないモニタに釘で文字を書いたかのような運用がされる石板に対して、アンチ感情を抱いているのだ。
馬鹿にもわかるようにかみ砕いて説明すると、 つまり、「紙をモニタに表示しただけの手抜き商品」を電子書籍だ、などと宣うペテン師どもが滑稽で嫌いだというだけの話だ。
正しく運用されたPDFのことはもちろん嫌いではない。
電子書籍であることの強みを理解し、少しでも配慮されたPDFは愛される為に生まれ落ちた存在である。
以上から我々は正しくは「紙をモニタに表示しただけの手抜き商品アンチ」であるのだが、世のほぼすべてのPDFがアンチの対象になってしまうから、説明を簡略化し「PDFアンチ」を名乗っているに過ぎないのだ。
USBフラッシュメモリをUSBと呼んでるのに近い。
この世にPDF愛好家など存在しない
人類は2種類の人間に分けることができる。
「PDFアンチ」と「潜在的PDFアンチ」だ。
PDF愛好家などという人間は実は存在せず、その人達はPDFに対するアンチ感情に気付いていないだけだ。
だって、ちょっと考えてみてほしい「紙をモニタに表示しただけの手抜き商品」なんて愛好する理由は宇宙を隅から隅まで探しても見つかるわけがない。
今まで見ていたPDFが砂浜に書いたI LOVE YOUにも劣る下等な文様だと気付いていないだけなのだ。
たしかに自分で電子書籍の可能性を見出すことは確かに困難であろう。
人間は現状に満足するようにできているし、PDF愛好家はその人間の中でも最も下等な人種であることからもそれは明らかである。
しかし、他人の作った少しリッチな電子書籍を見て「ああ、これは便利だな」と思うことはそれほど難しい話ではない。
そして、気付きを得た後は、自分の今まで見てきたPDFが手抜き品だということは矮小な脳味噌でも理解できるだろう。いや、むしろそこから君の脳は肥大化し、人間として成長していくのかもしれない。
PDF愛好家もとい潜在的PDFアンチにとっての不幸はそんな些細な出会いを経験しなかったことにあるのだ。
今回のPDFを公開することによるミクロなビジョンは、もちろん「このシナリオを使いやすいと思って遊んでもらう」ことだ。
しかし、将来的な電子書籍の発展も見据えたマクロなビジョンは
「潜在的PDFアンチへの自覚を促し、よりよい電子書籍を考えるよう人類に革新を起こすこと」
である。
電子書籍に向いてるテキスト、向いてないテキスト
ここからは紙書籍と電子書籍の比較をしてみよう。
電子であるというだけで「場所を取らない」や「安い」というメリットを挙げる飼い慣らされた家畜もいるだろう。
しかし、これは書籍の本分である「読む」という点に於いては全く作用していない。
本記事では、徹底して電子書籍の読みやすさについてフォーカスしていきたい。
企業による独占戦略やコピー防止策などは本を読むという甘美な喜びの前では霧のように消え失せるべきである。
まず、前提として 電子書籍は紙書籍に比べて読みやすいだろうか?
答えは、「ほとんどの場合に於いてNO」だ。
じゃあ、モニタで見る文章は紙に比べて読みやすいだろうか?
答えは、「差はない」だろう。
今、君が読んでいるこの文章も決して読みにくくないはずだ。
ここで、まず書籍を4つに分類しよう。この分類の仕方が正しいかはわからないが。
①文字のみのもの(小説・随筆)
②マンガ
③ほぼイラストのみのもの(画集・写真集など)
④レイアウトされたもの(学術書・TRPG関係書籍など)
本来、例としてTRPG関係などで括るのは不適切であるが、私が書いて公開したものがそれなので特別に記載させていただいた。
概ね、分類に関しては理解できただろうか?
①は単なるテキストの集合である。
もし仮に、小説をガバっと開いてスキャンして、それをそのまま読め!と言われたら絶対に紙のままの方が読みやすいだろう。
しかし、むしろレイアウトに縛られず、自由にモニタサイズに応じて文章量が調整できる状態(リフロー)な環境、むしろ紙よりも電子の方が読みやすいのではないだろうか?
このことから①は電子書籍優位の書籍だと考えてよいだろう。
長い文章を液晶の光とともに読むことには目への負担が大きいという点は一応あるが、これは今後、もっと改善されていくはずだ。
次に②だが、これは考えるまでもなく、紙優位だ。
マンガのコマ割りは見開いたページでもっとも視点が流れるようレイアウトされている。
Twitterでマンガを読んだことがあると思うが、マンガは右上から左下に読むものなのに、ページ送りが右になっていて視点の流れが台無しで読みにくくてしょうがない。
また解像度が足りず、小さいふりがなが読めないこともよくあるだろう。
これは顕著な例だが、マンガは大なり小なり電子化においてあちらこちらで読みやすさを損なっている。
そして、マンガは紙用でレイアウトされてしまったら、電子用に直す術がない、もしするなら別のものを描き直すほかない、という致命的な欠陥を抱えている。
初めから電子版の読みやすさを捨てるか、あるいは(昨今は増えてきたが)紙版の読みやすさを捨てるの2つに1つしかなく共存共栄は不可能である。
紙前提のマンガしか存在しないから紙優位になっているという表現の方が正しいか?
じゃあ、③はどうかというとこれも言ってしまえば単なる画像の集合である。
見開きにまたがるイラストがある、などといった例外を除けば、紙と電子に優位差はほぼないと言っていいだろう。
では④はどうなるだろうか?
①~③の傾向からレイアウトが決まっている書籍は紙優位になることがわかっている。
その為、答えは②であることは明白……。
しかし、マンガとはちがい、このような書籍達はレイアウトを電子書籍向けへと変更する余地を持っている。
体裁は変わり、作りかえることにはなるかもしれないが、その読書体験を損なうことなく、同様の内容をより効率よく再編成することが可能だと思える。
適切にローカライズすることで書籍は電子書籍として初めて生まれ変わるのだと私は思っている。
そして、このローカライズの手法のヒントは書籍ではなく、書籍という形式を捨て独自の表示方式を模索したwebメディアなどにあるのだろう。
思うに、電子書籍というものはあまりにも読み手を思いやるという観点が欠けていると思う。
何故、PDFが選ばれるのか
今回、「笑みは優雅か?」を電子書籍化するにあたり、ファイル規格の検討から始めた。
私の目的は読みやすい電子書籍を作ることであり、読みやすいPDFを作ることではない。
そもそも、PDFというのは「印刷物のレイアウトを保持したまま交換する為のフォーマット」として生まれた経緯があり、電子書籍の為ではなく紙を作る中間フォーマットという立ち位置なのだ。
だから、電子書籍する為に十全な機能が備わっているわけではなく、電子書籍にもっとも向いたファイル規格という訳ではない。
電子書籍の規格を考える為には前提として、何をもって電子書籍というかを考える必要がある。
文章が読めれば、それはすべて電子書籍と言えるのだろうか?では、今、私がかいているこのブログ記事も電子書籍といってよいのだろうか?
これは人によって見解が異なるだろうが、私は否だと答えるだろう。
パッケージ化して手元に(あるいは記録として)残るもの、それが書籍として最低条件ではないだろうか?
ここで、フォーマット規格の選定基準を
・パッケージ化してローカルで保有できるもの
・端末(PC・スマホ)問わず使用できるもの
とした。
そのような条件の中で、代表的なフォーマットは.pdf、.epub、そしてもう一つ検討したいのが.htmlだった。
【.pdf】
元々は印刷物への中間フォーマットとして開発された規格。
印刷物のレイアウトをそのまま画面上に表現できる固定レイアウト型なことが特徴。
【.epub】
電子書籍用のフォーマット。 小説もマンガも出版社から売られている物はすべて.epubだと思っていい。
リフロー型(文字の拡大縮小)。
調べたら、レイアウトも対応しようとしているが、多くのリーダーがサポートしてない為、無意味らしい……え!?馬鹿じゃん!
【.html】
wwwにおけるハイパーテキスト。
ざっくりいうとweb上でページ表示するための規格。
基本、リフローだがカスタマイズ性が高い。
まず、私は自由度の高さや電子版への適性を考えて、.htmlが一番適切であろうと考えた。
反対にレイアウトを保持できない.epubは今回の用途には向かないだろうとも考えていた。
.htmlは要はホームページだ。
ブラウザで読むもので、そのレイアウトや付加できる情報量はモニタに焼き付けただけの紙の比ではない。
見やすさと電子である強みという観点では、この目論見は間違っておらずよいものが作れる気がしていた。
しかし、先程、定義したパッケージ化の面で問題が生じてしまった。
.htmlをローカルファイルに保存した場合、スマホでは正しく引用できない。
画像やページのリンクが機能しない、ということだ。
これはどうやらスマホに保存されるファイルの階層構造によるものらしく根本的な解決方法はない。
妥協案として考えられるのはスマホを切り捨てPC用のみにするか、あるいはローカルを諦めサーバーに上げて表示させるかだ。
しかし、(小説なので参考として適切ではないが)データによると60%超の.epubを知らぬ不勉強者がスマホで読むとある。
実際のセッションはともかく、下読み等でスマホやタブレットを用いる人は大多数に及ぶだろう。
これだけスマホが普及した現代に於いてはスマホユーザーを切り捨てるという選択は論外だ。
※二又の迷い路のダウンロード比率
では、サーバーに上げるのはどうかというと、そもそも初めに掲げた選定基準から外れる。
もしサーバーに上げた場合、私が気分でサーバーを止めたらそれは読めなくなってしまうのだから、それは避けるべき事態である。
明日、目の前の現金欲しさにサーバーのレンタルを止めかねない私のような不届き者に生殺与奪の権を握らせるべきではない。
これがもっと安定感のある大手の電子書籍ライブラリ上のものであるのならサーバー上で管理しても問題ないが、個人では手に余る。
ちなみにTRPGシナリオに限るなら現実的には、TALTOによる管理が一番適切だと思う。
レイアウトの自由度が低いのが難点なので、TALTOでワードプレスの機能全部使えたらそれでいいんだけどなぁ、と私は思ってる。がんばってくれTALTO。
と、いうことで.htmlはダメになってしまった。
そうなると残りはPDFしか残っていないのである。
PDFの魅力というのはその汎用性の高さにある。
どんな端末でも開くことが同じように見ることができる。
むしろ、それ以外魅力はない。
流石、世界一の守銭奴が世界シェアを根こそぎ奪う為に、無料でリーダーをばらまいてまでゴリ押しした規格なだけある。
こういった次第で消極的な理由でPDFに戻ってきてしまうあたり、なんだかんだ言ってもPDFが優れているということの証左でもあるので、PDFの機能の中で紙の劣化にならない、よりよいものを作るのが決まったってわけ。
PDFを嫌悪しながらもPDFを選ぶ人が耐えないのは、結局のところ選択肢がないからに過ぎないのだろう。カス。
「笑みは優雅か?」PDF版の特徴
まずは、参考までにこちらのPDFを見てほしい。
シナリオのネタバレ回避で読めない方や、「なびるななんかに1円たりとも払いたくないね!」と思う方もいらっしゃると思うので、こんなサンプルを用意した。
うるせぇ買え。
これは笑み優からPDFの骨子だけを取り出したものであるが、説明をする分にはこれを見れば十分だ。
レイアウトの基本構造
電子端末で見るのに適切なレイアウトとは如何なるものだろうか?
TRPGのシナリオを一番窮屈な状態で見るのはセッション中である。
現代において、オンラインセッションの比率が非常に上昇しており、また電子書籍を使うデジタルネイティブであることに疑問も覚えない痴れ者はオンラインセッションすることが多い。
ディスプレイが1枚にしても2枚にしても、他に画面上に表示させないといけないものが同時にあるのだから、見開きで見ることは少ないだろう、と思った。
そして、その直感は概ね正しかった。
これはとあるアンケートの結果だがモニタ半開きと別端末で75%を占める。
つまり、縦長1ページ送りでPDF版のシナリオを読むのが主流だ。
それにオフラインでセッションをする場合でも、紙に別途印刷しないのであれば、ノートパソコンよりタブレット・スマホを用いる方が自然だろうと予測できる。
以上から、縦長1ページ送りに特化したレイアウトを目指すことに決めた。
そして段組みはしない方がよい。
紙でシナリオを作る際、通常、私は2段組で書くが縦長1枚送りであるなら徹底して視線は上から下にだけ動くようにした方がよいと考えたからだ。
紙の場合は視線が右へと誘導される機会が多いのと、文字サイズを小さくできる為一行の密度を高めることができるので、2段組の方がよいとされる。
これは紙の場合、ページサイズに制限があることも大きく、改行で失うページロスを減らす効果も大きい。
しかし、紙に比べ、PDFは文字サイズを大きくする必要がある。
これはモニタの画素数に起因するもので、最小ピクセルが決められている以上、小さい文字は容易に潰れてしまうのだ。
これは当然、モニタの性能にもよるし、4K8Kモニタを使ってるから気にならない、という方もいるだろう。テキストデータはベクターなので拡大縮小に対応している。
そういう意味でもレイアウトが固定されてしまうカスは不利な面があるのだろう。
画素数に起因する不具合は他にもあるが、それは後に取っておく。
こうした様々な要因の中、レイアウトの基本は縦長1ページ送り・1段組としたが、このおかげで副産物的に次の要素で大きな利益を得ることができた。
ページ比率を固定化しない
Sampleの6ページを見てほしい。
このページの縦の長さは通常のページに対して1.75倍である。
言うまでもないが、本来、文章というのは一つのトピックを同じページにまとめた方が美しく、かつ読みやすい。
どこまでを一つのトピックと捉えてまとめるかの判断は通常難しいものではあるが、本シナリオに於いては容易だった。
MAP上の1つの探索場所を1つのトピックとして選択した。
ただ、一度でもDTPを経験したことがある人なら分かると思うが、一つのトピックを都合よく、1ページ(あるいは見開き1ページ)に収めることは容易ではない。
もし、それが実現できているのであれば、それはページの枠組みから逆算して作られた文章であり、本来伝えるべき文章が見映えの為に削ぎ落とされ、意味を十全に伝えることのできない、本に隷属した文章に堕ちてしまっているだろう。
十全に伝えることが文章にとって必須である以上、トピックごとの文章量は変動する。
その中でページ枠組みに収まり切らないほど多い文章量というのは必ず発生し、全てを伝えることなく途中でページを跨ぐのだ。
だったら、収まるまでページをでかくしてしまえばよいのでは?
紙の本というのは同じサイズの紙を綴じあわせて作成する以上、途中で急に別のサイズの紙が発生することを許容はできないが、電子書籍であれば、そのような縛りはない。
だったら、別にページを長くしてしまえばよいのだ。
そうした場合、スクロールは発生するものの、2ページに跨った場合でも同様にスクロールは発生するし、文章がぶつ切りになるストレスと比較しても、断然、1ページに収めた方がストレスが少ないと考えた。
もちろん、長さには限度があり、場合によってはトピックの途中で分断することもあるだろうが。
これは、紙の本には実現不可能で、電子書籍にすることで得られる大きなメリットだろう。
また、これはレイアウトの基本構造を1段組と決めたからこそ実現できている。
電子書籍はページのくびきから解き放たれ自由に羽搏くべきなのだ。
余談だが、そもそも書物は「画一的な紙を綴じた物」として成立する前に、巻物として成立していたという事実がある。
収納性・検索性などの観点から綴じ本が現代では有効だが、文章を前から順に愚直に読む、という形態に於いて、巻物の方が優位であることから、ある意味、このページの自由化は原点回帰と言えるだろう。
適切なハイパーリンク
セッション中に頻繁に起こす現象として「えっと、それどこに書いてあったっけ?」がある。
これに対し、該当のページを探す為の手法はいくつか存在する。
もっとも原始的な手法は「連続的にページを確認する(ページをパラパラめくる)」、網羅的な検索であり、やったことない人は流石にいないと思う。
しかし、電子書籍のスクロールスピードの遅さと、一瞬の目の端で捉えられる情報量の少なさからこの手法は圧倒的に紙優位である。
もう一つの手法は「ピンポイントでページを確認する」ものだ。
これは索引や目次を利用し、目的の用語がどのページにあるかを確認し、ページを開くものである。
紙の場合、索引・目次なければ、そもそも探すことも不可能であり、すべてが筆者の裁量に委ねられる。
対して、電子書籍の場合はテキスト形式であれば、索引・目次に加え「Ctrl+F」で特定の文字列を探すことができる為、筆者に依存することなく検索することが可能である。
以上から、網羅的な検索性には紙に軍配が上がり、ピンポイントな検索性には電子書籍に軍配が上がる。
であれば、電子書籍の場合は徹底して、ピンポイントな検索性を活かした作りをすべきであろう。
これをさらに便利なものにする魔法がハイパーリンクであり、しかもこれは別に珍しい技術でも何でもない。
これも余談だが、網羅的な検索には網羅的な検索なりの強みがあることだけ伝えておこう。
ピンポイントな検索は自分が何を検索したいか具体的にわかっている場合に強い手法であって、抽象的なものを調べる場合には不向きだ。
よく引き合いに出される例は歌詞の一部は分かるが曲名は分からない、というやつだ。
本をパラパラと捲って、自分の記憶の漠然とした一部と一致させ再度検索するのであれば、ピンポイントな検索は有効ではなく、このような場面はアカデミック分野で頻繁に発生する。
どちらの手法にメリットがあるということだけは理解していただきたい。
また、これは書籍内で完結させる体での話であって、検索エンジンというを活用する場合はまた事情が異なる。
PDFに限らず電子書籍にはハイパーリンクを仕込むことができる。
これを活用すれば、自分で特定のページ数に辿り着く手間を省略し、より効率よくページを遷移することが可能だ。
キホンのキとして目次にはリンクを貼る。
そして、読み手がほしいと思う用語にリンクを貼る。
それに加えて今回徹底したのはホームポジションと進行のリンク意識だ。
ホームポジション
本ゴミでは全体の1ページ目にMAPと目次を掲載し、ホームポジションとした。
そして、どのページからでも1クリックで1ページ目に戻れるよう、右端にバー型のリンクを貼った。
セッション中、KPが一番見るのがMAPと目次である。
PL達が何か行動をした後に一旦、ホームポジションに戻る、という動作をストレスフリーに行いたかったのだ。
ただし、これは本来、ホームポジションにすら戻ることなく実現したかった。
具体的にはサイドバー(今、このページにもあるだろう)にホームポジションとしての機能を持たせておきたい。
これを融通の利かない無能で実現することは「しおり機能」によって可能であり、もちろんそれも使用できるよう施した。
しかし、このしおりはパソコンならAcrobatでもChoromeでも紙擬きを読んでいる最中、サイドバー的に常に表示することができるが、スマホの場合、表示し続けることができず、いちいち呼び出さないといけない。
自分の僅かに残った強みを活かすことのできない馬鹿の所業だというより他ない。信じられない、これだからPDFは嫌いだ。
そうなると目的のページを呼び出す為の機能を呼び出す手間が発生してしまう。これはかなりのストレスだ。
この手間とホームポジションに一度戻る手間を天秤にかけた結果、ホームポジションがあった方がいいと判断した。
なので、パソコンで使用する人にはそれほどメリットのない工夫かもしれない。
進行リンク
先程、ページを跨ぐ動作がストレスになると伝えたが、これは通常の通り上から順番に読む際でも同様である。
スクロールの最中は、ページ全体を見ることができず、中途半端に半分ずつ表示されるような無意味な空間が発生する。
ましてや、ページが余って下半分が白紙だったら、尚のこと無駄だ。
それを防ぐ為に、ページを跨るスクロールという行為をセッション中には行わないで済むようにしたい、と考えた。
その一環がホームポジションではあるのだが、もうちょっと徹底してみる。
まず、(笑みは優雅か?の)目次的に1.概要→2.導入→3.個別導入→4.シナリオの流れ→5.キーワード……となっているが、実際、セッションを始めてしまえば、4~9のシナリオ上の知識部分は不要になる。
セッション中の進行に合わせた2.導入→3.個別導入→10.探索1というバイパスが通っている方がストレスが少ないと考えた。
なぜ、このような二つの読み方の流れになるのかと言えば、KP・GMに事前に読んでもらうべき項目とセッション中に読むべき情報との乖離があるからである。
物事の理解というのは下から順に積み重なって行く物ではなく、複合的に混ざり合っていることが常であるのだ。
この考えを基本に、進行がスムーズになる様なリンク配置を心掛けた。
セッション中は一切マウスホイールでページを探さないで済むのが理想である。
カラーの有効活用
モニタに表示することと紙に印刷することの大きな違いと言えば色の自由度だ。
「でもぉ……紙だったら肌触りとかぁ質感とかぁ……モニタにはない温かみがぁ……」という私の内なる声が聞こえるが、今回は無視だ。要はカラーにしても金がかからないということだけ言いたい。
ならば、わかりやすく強調にはカラーを使うべきだ。
多用してもいいが、そこには統一感が必要となる。
本シナリオ上では基本的に、イベントの種類によって色を使い分けている。
色を使うことでおしゃれにすることが目的ではなく、視覚的に区別がつきやすくなることが目的だ。
この程度の些細さで十分だと判断した。
しかし、デジタルデータであれば、容量がいくらでも増やせ、画像や装飾も無限に増やし、パッと見の派手さで目を引くようにすることができる。
ならば、おしゃれにするべきなのでは?と言われるとここで意外な結論になったのだが、私の中では過剰におしゃれにするべきではない、というのが結論だった。
今回のPDFの目標はKP・GMのストレスの少なさが重要で、おしゃれさを優先してそれを損なうことは避けるべきだからだ。
たしかに電子書籍はカラーを無制限に使用できる上に、画像も自由に使用できるのだが、これをすると描画が重くなる。
私達はプレイステーションのLoading画面に腹を立てていたし、Fateのクソゲーのロードの長さに何度スマホを投げ捨てようとしたかわからないはずだ。
パープリンもその性質上、内包するテキストと画像等を画面に描画するのだが、これが可能な限りの描画を同時に展開しようとしているようで、重さがダイレクトに読みにくさにつながる。
上から順に展開されたとしても、リンクを多用する本シナリオの性質上、度々描画外に飛ぶことになる為、描画遅延が発生する。
思えば、ブラウザでHPを見ていたってラグはあるし、電子上で描画されるものはなんだってラグが発生するのだ。
しかし、それは読書体験に於いて致命的なストレスである。
パソコンや最新のiPhoneを使っている場合はそうそう発生しないのだが、PDFの描画は結構、マシン性能の依存し、場合によっては正しく表示されないこともある。
数百ページあるPDFを開くと描画が遅すぎて見れたものではない。
おしゃれなのはいいことだが、おしゃれは一回でいい。
そんなものより、利便性・快適性を担保する方が優先順位が高い、と私は判断したので、最低限の装飾を施し、余計な重くなる要素は排するよう心掛けた。
ここで一番の思い切りは表紙をカットしたこと。
本には表紙が付き物である固定観念があるが、電子書籍にそれは不要であり、快適さを妨げるだけである。
表紙は別添えにした方が、データ量を格段に減らせ、ストレスを減らすことができるし、逆に表紙を高解像度で提供することだってできる。
一緒にしなければいけない理由は電子書籍には存在しないのだ。
もちろん、読み手の理解を促す上での挿絵などは重要であるので最低限は残しておくべきであるが、重くなるようであれば容赦なく解像度を下げ、別で同梱してしまった方がよい。
もし、おしゃれな装飾の本を作りたいのであれば、シンプルなものと同時に2種類展開した方が良いと思う。
こんなところにメリットがあるなどと思っていなかったが、紙に印刷されたものに描画性能は必要ないので、金に糸目を付けなければ紙の方がよっぽど装飾華美にできるのだということに気づいた。金に糸目を付けなければ。
その他、些細な工夫は随所にあるので、よければ一度、本シナリオに目を通していただけると幸いだ。
おわりに
何度も言うが、この電子書籍のような何かに私は納得していない。
本来であれば、電子書籍という形式は紙の不自由さを反面教師に独自の進化を遂げるべきであったにも関わらず、ありとあらゆる手抜きの産物として進化することを拒んでいる、この現状に私は憤っているのである。
電子書籍を名乗って何かを出したいのであれば、ちゃんとその意義に向き合って読み手に対する思いやりをして欲しいのだ。
そんなに面倒なことじゃないだろう。いや、面倒かもしれない。
でも、ハイパーリンクもせめて目次に施す、ページの比率を変える、くらいだったらできるじゃないか。
私のは不完全でまだまだだと個人的に思ってはいるが、個人に掛ける負担としてはやり過ぎなので、全員が全員、全部やってくれ、とは言わないけど、これを見て少しでも意識が変わり、何も知らない子ども達からPDFアンチへと成長してくれればうれしい。
あと、私には技術的にできないのだけれど、同志諸君のPDFアンチの為のPDFに替わる先進的で電子書籍の未来を救うような統一規格を開発しているような方がいたら是非とも声を掛けてほしい。
口だけだったらいくらでも出すし、他にも必要ならがんばって勉強するから。この世から粗悪な電子書籍を撲滅せよ。
以上!
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