2年間付き合った彼女と別れました

その他

 先日、髪を切った。

 ボクは昔から髪を切るという行為が嫌いだ。
 どうにも嫌いだ。正確に言うと店に行って髪を切ってもらうという行為が嫌いだ。

 それはボクの自他ともに認めるコミュケーション能力不足に由来するもの……であったらことは単純なのだが、どうも理由はそればかりではないらしい。
 まず、散髪しに店に入る、という時点で二の足を踏む。
 おそらく、その行為に今から自分がおしゃれ(に類すること)をする、という事態に直面するのが嫌なのだろう。
 ボクにとっておしゃれは自分でするものではなく常に仕方なくするものであって、それを能動的に行わなくてはいけないという事態が耐えられないのだろう。
 そして、その苦痛を振り切って、スタッフとのウェットに富んだ軽快なトークを乗り切り、晴れて髪を切ってもらったとしても、そこからが大変だ。

 ボクは髪を切った直後の自分が嫌いだ。
 髪が少なくなって視界がクリアになった世界はボクには眩し過ぎ、そして、ボクにはどうにも気取っているようで、まるできちんとした人間になったかのように錯覚して吐き気がする。
 いつだってボクは、だらしのない自分を自覚し、安堵し続けたいのだ。

 だから、益々髪を切るのが苦手になる。

 さらにこの手の店は予約を強要しがちだが、ボクは時間予約というのが苦手だ。
 時間予約はその前後の時間をすべて拘束する。ボクから自由を奪うのだ。
 それが、楽しみなことなら我慢できるが苦痛を伴うものの為に予約するなど、最早絞首台への階段を一歩一歩上る罪人さながらである。
 新幹線だって予約をしたくないという一心だけで自由席を愛用しているくらいである。当日飛び込みで予約できるのならまぁいいが。
 そして、電話までおまけでついてきたときにゃ、もうお手上げである。
 ボクは電話恐怖症である。自分から電話を掛けることを日本に残されたもっとも忌むべき文化だと信じて止まない。
 もし、美容室に電話などするとなれば、心の準備だけで30分は必要であり、終わった頃には今日一日の勇気の九割は消費してしまうであろう。
 しかしながら、電話予約という文化は偉大なるインターネッツのおかげで日に日に撲滅されつつあり、ボクにとって住みよい世界にわずかながら近づいているな、とはかんじるところではある。

 だから、髪は年に2~3回しか切らない。
 世の平均に比べるとそれが少ないだろうことは容易に想像できる。
 だが、嫌いなのだから仕方がない。
 半年切らないことはざらで、そうなると切った翌日から1カ月くらいは会った人会った人に「髪切った?」と問われ続ける羽目になってしまう。

 もちろん、髪を切ることにメリットがあることくらいボクも知っている。
 本を読む時に邪魔にならない。

 先日、ボクは髪を切った。

 髪というのは古来より魔力が宿るとされ、神事に向かう巫女は髪を切らずにその魔力を貯めた。
 髪は神に通ずともされ、その存在自体が神聖視された。

 またその一方で髪は煩悩であるともされる。
 髪を切り落とすという行為が俗世とのつながりを捨てる、つまり、死の代替行為であるという考え方もあり、すなわち、髪を切るということは生まれ変わりを意味する。

 そして、それは今尚、根強く残る風習である。
 髪を切って、気持ちを新たにし、明日へと再び歩き出す。
 それはとある事象の代名詞的扱いである。そう……、

 失恋である。

 この世に数多存在する百万人の為に歌われた失恋ソングでは百万回髪が切られている。
 これは新しい自分として生まれ変わり、過去を振り切る為の意思表示に他ならない。
 それはとても晴れた日で未来なんていらないと思っている。

 しかし、思い巡らせてみると、最近の創作ではそれほど失恋して髪を切る描写は少ないように思える。
 パッと思いついたのが3月のライオンくらいか?
(最近ではないけど、逆境ナインの「髪を切るの、一日早かったかな」のシーンは始まる前に失恋するというシーンですごくいいよね!)

 まあそもそも恋愛映画やマンガをあまり読まないから思い至らないだけかもしれない。
 それにキャラクターというのは髪型込みでデザインが成立しているから、安易に髪を切らせるわけにはいかないという側面もあるのだろう。
(桑原さんは髪を切っても桑原さんだからすごいよね!)

 こういった恋愛ソング特有の陳腐化された表現というのは結構ある。
 代表的なところでダーリンだろう。日常生活でダーリンなんて使っているヤツを見たことがない。
 本当に恋愛ソングの歌詞にしか存在しない単語である。

 ダーリンというのは元々、愛しい人という意味でそこに男性的な意味は含まれていなかったそうだ。
 それがいわゆるジャパニーズイングリッシュとして普及した結果、そういう属性が付与されたという歴史を持つ言葉である。
 だから、そもそも間違っている上に使われてもいないというとんでも単語なわけだが。

 

 

 

 2年間付き合った彼女と別れました。

 別れるときは意外なほどあっさりで、ここ半年は、まぁ、一緒に暮らしていたわけだが、お互いに「まぁこいつと一生一緒に暮らすのは無理かな」と思ったという程度の理由で別れた。
 円満とはいかぬまでも、喧嘩別れではない。

 

 

 

 

 

 と、いうことで……

 

 

 

 別れ話のときに言われた感銘を受けた言葉ランキング~~~~!!!

 どんどんぱふぱふ~。

※本記事は本人の許可を得て書かれています。さんきゅー元カノ!

 

 

 さぁ、はじまりました、別れ話のときに言われた感銘を受けた言葉ランキング。
 別れ話という、お互い今後関係がなくなってもいいという覚悟の決まった環境から飛び出す切れ味鋭い言葉達から、いったいどんな言葉が上位に躍り出るのか?

 早速参りましょう。では、第三位から

 

第三位

「私といるより一人でいる方が好きでしょう?」

 いや、まぁそんなことはないっていうか~、一緒にいるのも嫌いじゃないよ、うん、別に、そこまで気にはしないかな。
 ただ、一緒にいても話しかけないでほしいというか、作業してるときは放っておいてほしいというか、あくまで同居人というくらいのスタンスでぇ……。

 いや、わかるんですよ、わかりましたとも、この同居、複数人が一つの家に住むという合理性、身をもって体感しましたとも。
 やっぱりね、一人の為に料理するのはもったいないし、毎晩湯船に湯を張るのは不経済ですが、そこが二人となると途端に経済的、部屋に暖房をかけるのも同じ部屋に二人いた方が効率がよいというのは、いうまでもなく明らか。
 よくできたシステムだと思いますよ、本当に。
 一人暮らしは贅沢、今、一人暮らしをしている画面越しのそこの君は今すぐ誰かと一緒に暮らし始めた方がいいと思うね。

 思うが。

 親しき仲にも礼儀ありっていうかぁ~、アセラナイヒトリノ夜があってもいいよねって。

 

第二位

「気を遣いすぎて疲れてる。バカじゃないの?」

 ここにね、やっぱりボクという人間の矛盾が存在するわけですよ。
 すでに見抜かれている通り、ボクは一人を実際、望んでいるわけですが同じ空間にいる以上、相手に何かアクションを示してあげることが礼儀だと考えてしまうわけだ。
 つまり、自分から一人の時間を壊して自分でストレスを溜めている。バカじゃないの、とはよく言ったものである。

 この言葉の裏にある真意として(今思い返すと)、
 「勝手に一人じゃなくなっている癖に、ストレスを感じるのを私のせいにする」ということだろう。

 もちろん無意識なので、相対している間はそんなこと思ってなどいないはずだが、何かそう感じさせる振る舞いがあったのだとは思う。
 まぁそういうのが見えてくるのが一緒に暮らすってことなんだろう、多分。

 

 はい、ってな感じで三位と二位を紹介しました。
 あくまで感銘を受けた、という言葉なのでその言葉に対して怒りを覚えた、とか逆に反省した、というわけでは特になく、よくもこんなにもボクのことを理解してくれたもんだと感謝すら覚える。

 ただ、この二つは同棲前からそうなるだろうなぁ、と思っていたし、いや嘘です、意外と自分ってうまくやれるんじゃないか?という期待も込めていた、のだが、自分に期待などするもんじゃないですね、儚く散ってしまいました。
 つまり、どうしようもないし、今後も繰り返すのではなかろうか?詰みってこと?

 だって矛盾してるからね。

 

 さあさあ、盛り上がってきたところで残るは第一位のみ。四位以下は紹介しません!
 果たして栄冠は誰の手に輝くのでしょうか……?
 それでははりきって参りましょう!

 

 

 

第一位

「別れたい、って言わせたでしょ?」

 うーん、まぁうーん、そういうわけではないんだけど、広く捉えればそう。

 ここで前提になるが、別れ話を切り出したのは相手の方である。
 しかし、相手はボクが別れたがっているから切り出してあげた、と言っているわけだ。

 間違っているのはボクが別れたがっているという点。
 ボクは決して別れようとはしていなかった。

 正しいのは別れてもいいと思っている点。
 別れようといわれても、気軽に受け入れるつもりでいた。

 二人の共同生活には間違いなく崩壊の足音がしていた。
 この時点で、生活が一生続くことはないだろうという確信はあった。
 これが、ここ二ヶ月くらいの二人の合意であったであろう。

 その上で、痺れを切らしたのは相手の方だった。
 しかし、それは本来、ボクが受け持つはずの行為だったと彼女は主張するわけだ。

 それに対して、ボクは極論だが一生自分から切り出すことはなかったと思う。

 これはボクが優柔不断だったということでもない。
 ここに大いなる感性の乖離が見られたのだ。

 ボクは事の次第を軽く捉えていたのである。
 同棲も結婚も、そして離婚も人生のスタンプラリーの一つくらいにしか思っておらず、このまま放っておけばどこまでスタンプが押せるのだろうか、と思っていた節がある。
 だから崩壊が見えていたとしても、このまま突っ切ってくれて全然かまわなかったわけである。
 これが一般的な感性だとは思わない。

 いずれ終わるとわかっている共同生活を続ける気はない彼女と
 いずれ終わるとわかっていても終わるまで踏み込んでみたいボクとの感性の差がここに現れたのだ。

 ただ、いずれ終わるということは分かり切っていたので、正直な感想をいうと「意外と早かったな」と思ったくらいで(いや、結婚前に切り上げるのは普通だろう)そういわれたからといって、やだやだ最後まで一緒に走ってというつもりもない。

 むしろ、これも彼女視点から見れば、お互いわかってんだからお前から言い出せよ、と言いたかった、つまり、彼女の主観では、この場面でもボクは彼女を悪者に仕立て上げていた、ということになるのだろうか。

 どこでコップから水が溢れだしたのかは分からないが、彼女の中の悪者にされているという日々の感覚が決壊して別れ話になった。
 最後までお前は私を悪者にしたよね、と。

 否定できる点はない。
 今、物分かりがよい風に書いてはいるが、これはボクの中でやっと咀嚼が終わったが故の結論で、だんだんとわかってきたものだ。

 というか、ボクは自分の性格がよいとは微塵も思っていないので、彼女から見たボクという像の方が常識と照らし合わせても正しいに決まっている。
 やっぱり、ここまで歪んだ人生を送ってきた癖に人並みの幸せを得ようなんて考えが虫が良すぎるということでしょう。
 ボクが卑怯者だったということでこの話はおしまい。

 

 そんなわけで晴れて自由になったので、今までお断りしていた配信とかもまたぼちぼち出れるようになると思いますし、創作に打ち込める時間も元に戻っていくと思います。
 みなさんも気軽に声をかけてくれたら幸いです。

 当面の悩みはこの家の家賃をどう払っていくかなのか、お仕事依頼もお待ちしています!

 以上、今日も空は青い!

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