「ポテトに味がついている!!!」
そう言ったのは、イギリスも3日目にしたニコライ・ボルコフだった。
一体、何を言っているのか?と不思議に思うかもしれないが、これには歴史に彩られた深くも悲しい理由があるのだ。
みなさんはイギリスの代表料理といえば、何を思い浮かべるだろうか?
そう、フィッシュ&チップスだ。
ほかには、って?
そんなものはない。
いや、食事というより紅茶とか、おかしとかは有名だよね。
世界の国々を回る上でやはりその土地での名物料理を食べるというのは醍醐味であろう。
いまや世界各地どこでも世界の料理が食べられるとはいえ、別の土地で食べる料理というのはその土地に合わせてローカライズされてしまっているものである。
例えば、四川料理を日本で食べようとしたら辛さは控えられてしまっているだろう。今回の旅の道中で言えばインドでカレーを食べる際、じゃがいものカレーが頻繁に出てきたが、日本のインド料理屋でじゃがいものカレーというのはあまり一般的ではない気がする。むしろ家庭のカレーにはよく入ってるのにおもしろいものだ。
そして、このローカライズというのがどのように起こってしまっているのか、食べている我々にはわからない。だから現地でローカライズされていない料理を接種するというのは非常に有意義な経験となるのだ。
さて、その理屈から言えば、イギリスへ来たのなら当然、フィッシュ&チップスも食べるべきであろう。
しかし、イギリス、料理といえば、もう一つ有名な言説がある。
それは、メシマズの国だ。
イギリスの料理は不味い、ファーストフードの方がマシ、などと言われしまう始末であるが、さすがにそれは言いすぎだろうと思いたいところである。
だが、我々もむざむざ不味い飯を食べたい訳ではない。
食べるからには(たとえ不味いのがローカライズされていない味だとしても)、おいしい食事を食べたいというのが、人間の本能というものであろう。
なので、今回、我々は入念に準備をした。
グーグル先生においしいフィッシュ&チップスが食べられるレストランを聞いた。
さらにはガイドさんが「ココハオイシイデスヨ!」と言っていたのを確認している。現地ガイドに言質を取ったってね。
抜かりはない。
さぁ、そんなこんなでやってきたお店(お店の栄誉の為に店名は伏せるね)、グーグル先生によると賞を取ったこともある店らしい。これは期待できる、というかこれでおいしくなかったら、この国すべてのフィッシュ&チップスは美味しくないということを証明することになってしまう。
さてさて、注文してみるかな。
フィッシュ&チップスにもなにやら魚の種類があるらしい。
いやはや、本格的じゃないか。
なになに、じゃあこのカレイのフィッシュ&チップスとロンドンプライドをいただこうかな。
ロンドンプライドはイギリスの中でも1,2を争うほど人気なビールらしい。
味はというと、香り高くコクがあり、反面、炭酸が弱く夏場に一気に飲むビールというよりはゆっくりちまちまやるような感じ。これはこれで悪くない。
いやいやビールの話をしている場合じゃなかった、話を本題に戻さねば……やってきたぞ、フィッシュ&チップス!!!
見た目は、良しだな。想像通りのフィッシュ&チップスの形。
これは……。
───シールサーティンディシジョンスタート。
───グーグル先生「賞を獲ったことがある」
───ガイドさん「コノオミセハオイシイヨ」
───見た目「おいしそうだよ」
───ボク「これは世界を救う戦いである」
4解放か、しかしこっちは結構な馬鹿舌だぜ?ボクを満足させるには十分な解放といえよう……いけぇ!!!
───エクス……カリバァァァアアアアアアアア!!!!!
※余談ですが、アーサー王縁の地はどこもロンドンから遠いので行っていません。いつかじっくりロンドン来たときに行ってみたいね。
あ……味がない。
魚の旨味も味付けも、何もない。
ポテトも味がない。
いや、油の味がする。無の先にただひたすら、油が広がっている。ここが世界の果て、オケアヌスなのか?
好きの反対は嫌いじゃなくて無関心なんだと人は言う。
だったら、美味しいの反対は不味いじゃなくて無味なのではないだろうか?
いや、この白身魚を味付けるソースが隣にある。これをつけることが前提なのだろう。そうに違いない。つけずに文句を言うのは野暮というものだ。
ソースの味が浮いている。
まったく一体感がない。
CD音源の「孤独なハリケーン(本田美奈子)」のボーカルばりの浮きっぷりだ。しかし、これは癖にならない。飽きる。
食感はベリグッドだ。これ絶対美味しいやつじゃん、という食感だ。ただそれは儚くも裏切られる。
簡単にいうと箸が止まる味。別に食えんほどの味ではないんだが、途中でもうええかな?と思ってしまうような虚無の味。
味がないって言ってもこんなに味ってなくなるか?
まるでわざわざ魚とじゃがいもを全部ほぐして、水洗いした後に成形し直したような無味だ。
この文明社会においてクックパッドさえ見ればこれよりも味がついて食べ甲斐のあるものが作れるような気がするが、そんな些細な創意工夫もできないのだろうか。
思うにこれは伝統なのだろう。
美味い不味いではなく、伝統的な料理の味を当時のまま保存し続けるという崇高な目的の為にこの料理は作られているのだ。
この無味こそがブリテンの誇りであり、伝統。ロンドンプライド。
それを余所者がどうこういうものではない。
ただ、もう二度と伝統的なフィッシュ&チップスは食べなくてもいいかな。
「ポテトに味がついている!!!」
そう言ったのは、イギリスも3日目にしたニコライ・ボルコフだった。
ここはワーナー・ブラザーズ。ハリーポッターミュージアム的なヤツだ。
我々は昼食にハンバーガーを頼んだ。所謂、観光地のメシだ。日本人的な感覚で言えば、期待など鼻からしていない。
ところがこのハンバーガーに付き添いとして出てきたポテトに味がついているのだ。
塩コショウを振らなくても、ケチャップをつけなくとも、ポテトの奥まで味がついている。マッシュしたじゃがいもを各種調味料とともに混ぜ、成形したポテトなのだろう。美味だ。
ここは観光地、しかも伝統もへったくてもない場所だ。
だからこそ、貪欲にただ美味しいものを作ることができるのだろう。
伝統を守ることも大事だが、それは時として足枷にもなる。
ふと、自分はどうだろうか、と考えてみた。
伝統、こうあるべきだと思い込みすぎて、柔軟な発想ができなくなってしまっていないだろうか?
殻を破るというのはそういう観念を取り払い、一歩、新しい世界へと踏み出すことではないのだろうか。
自分の伝統、常識を捨てもっと自由になることも時に必要なのだと、ボクはイギリスから学んだ。
ボクらに必要なのはフィッシュ&チップスなのではなく、スクラップ&ビルドだったのだ。
それでは次の国でお会いしましょう。
コメント
イギリス料理について理解が深まったありがとう。そしてエゲレス行って料理にしか言及しないぐらい食への関心が一番高いのやっぱ日本人って特殊なんかなっておもいました。